*チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」 (2024年4月14日 第48回定期演奏会プログラムより)

 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840–1893)が最後に作曲した交響曲第6番「悲愴」。自筆譜の表紙には「патетическая パテティーチェスカヤ」と書かれている。ロシア語で「情熱」「強い感情」という意味を持っている。一方、友人たちとの手紙には「Pathétique パテティーク」と書いていて、こちらはフランス語で「悲愴」「悲痛」といった意味となる。チャイコフスキーがフランス語も堪能だったことを考えると、この曲名には二つのイメージが混在していたのかもしれない。ちなみにどちらも語源は「喜怒哀楽に伴う強い感情」を表すギリシャ語の「π?θος パトス」だという。そして、作曲家自身はこの交響曲に「人生」を見ていたともいわれている。
 経済的にゆとりのある一家に生まれ、両親に愛され、兄弟仲も良かったけれど、繊細で感じやすく、生涯を通して神経症の発作や鬱状態に悩まされた。幼いころから音楽の才を見せ、本人は音楽の道に進むことを望んだものの、法律学校に入学させられたのち、役人として働いている。最愛の母を14歳のときに亡くし、大きな打撃を受けた。26歳で法務省を辞職し、作曲家として遅いスタートを切ったが、常に経済的困難と隣り合わせ。28歳のとき、母のように美しい手を持ったオペラ歌手と恋に落ちて婚約し、裏切られる形で破局する。生涯で唯一愛した女性と別れた後は同性愛者であると噂が立ち、その噂が兄弟にまで被害を及ぼすことを懸念して、自分を慕う貴族の娘との結婚に踏み切る。しかし、結婚は彼に苦悩しか与えず、自殺まで図る。夫婦共に暮らしたのはわずか33日間だった。
 作品は次第に認められてゆき、支援者も現れた。戴冠式などの国家行事には必ず委嘱を受け、ロシア皇帝からも年金を与えられている。欧米でも高く評価され、英国ケンブリッジ大学名誉博士号のほか多くの栄誉を受けた。オペラ、協奏曲、管弦楽曲、ピアノ曲、歌曲、合唱曲、室内楽曲と多くのジャンルで名作を残し、バレエ音楽「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」は三大バレエと呼ばれ、いまだに世界中で愛されている。
 交響曲は番号が付いたものと、「マンフレッド」と名前が付いたもの、計7作を作曲した。交響曲第6番の初演では、作曲家自身が指揮を務めている。会場の貴族会館は満席。ロマノフ家の桟敷には皇族が座り、外交官やドイツ大使、国内外の新聞記者、リムスキー=コルサコフ、グラズノフ、ラフマニノフ、お父さんに連れられてやってきた11歳のストラヴィンスキー少年もいた。重く暗い曲想に戸惑う聴衆はいたものの、チャイコフスキーは「私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語っている。
 そして、その5日後に腹痛と下痢で倒れ、回復することなく、53歳で永遠の眠りについた。レストランで飲んだ水によるコレラが死因だといわれている。初演からわずか9日目のことである。いろいろあるのが人生とはいえ、なんと激しいことか。まさしく、パトスの連続だったことだろう。

 第1楽章は鎮魂の祈りのような重々しい雰囲気で始まり、ドラマチックに展開していく。第2楽章は5拍子のワルツ。幸せで優美な中にも不安や物悲しさが漂う。第3楽章は闘争と勝利。輝かしい勝利宣言でダダダダン!と終結したら、拍手をしたくなるのが自然だろう。私はいつもコンサートで、音が出ないように、他の人にわからないように、こっそり指で拍手している。私たちも、盛大な拍手をしたくなるような、思わずブラボーと叫びたくなるような演奏ができたら、どんなにいいだろう。けれど、華々しい栄光の中で終われないのが人生ではないだろうか。深く長いため息で始まる第4楽章。鼓動は鳴り続け、感情は揺れ動く。やがて、死を啓示するかのように銅鑼が響き渡り、天上から神の声が降りてくる。心臓を打つ音が徐々にゆっくりとなっていく。

(ホルン 吉川 深雪)

編成:ピッコロ(フルート持ち替えあり)、フルート2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファ ゴット2、ホルン 4、トランペット 2、トロンボーン 3、テューバ、ティンパニ、バスドラム、 シンバル、タムタム、弦楽5部。

 

 


 

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