*ベートーヴェン 交響曲第6番 へ長調 「田園」 (2023年9月17日 第47回定期演奏会プログラムより)

 アルプス山脈の一部に広がる「ウィーンの森」。その広大な山野とウィーン市街の境にハイリゲンシュタット地区がある。ベートーヴェン(1770–1827)が耳の療養に訪れ、回復の見込みがない難聴に絶望して遺書をつづり、それでも芸術に引き留められて死を思いとどまった場所。終生この地を好み、幾度となく滞在した。1808年に完成した交響曲第6番「田園」は、ハイリゲンシュタットに流れる小川を毎日のように散歩しながら構想したといわれている。
 ベートーヴェンの手記に「田園交響曲は絵画的な描写ではない。田園での喜びが人の心にひき起こす感覚であり、それに付随して田園生活のいくつかの感情を描いている」とあるように、自然描写による交響曲ではない。しかし、各楽章にも標題を付けていることは注目に値する。第1楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」、 第2楽章「小川のほとりの情景」、 第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」、 第4楽章「雷雨、嵐」、 第5楽章「牧歌。嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」。
 また、5楽章形式を取ったこと、さらに第3楽章と第4楽章、第5楽章を連結させて大きなフォルムを作ったことなど、交響曲としてはかなり斬新な試みを行っている。この連結という手法は、単一楽章の交響詩が誕生するきっかけとなったように思う。
 考えてみれば、ベートーヴェンの九つの交響曲は斬新な試みの連続だ。ハイドンやモーツァルトの時代に確立された交響曲に充実と変革をもたらし続けた。管楽器の編成を拡大し、チェロパートとコントラバスパートを独立させ、第5番では交響曲史上初めてトロンボーン、コントラファゴット、ピッコロを使用。短い音型を執拗に繰り返す第7番などは、現代音楽のムーブメントのひとつ「ミニマル・ミュージック」のはしりではないか? そして、独唱と合唱を伴うスケールの大きい交響曲第9番は、のちの交響曲作曲家たちに多大な影響を与えた。また、曲によって実に様々な調性を取っていることも興味深い。

 ここでホルンの話をしてみたいと思う。現代のホルンは複数のバルブと抜差管が付いていて、それを組み合わせて操作することによって自在に半音階が演奏できるようになっている。しかし、ベートーヴェンの時代のホルンはいろいろな長さの管を付け替えて演奏していた。どの管もその自然倍音しか出すことが出来ない。例えばC管はドの音を基音とし、低い方から「ド - 1オクターブ上のド - ソ - ド - ミ - ソ - シ♭ - レ - ミ - ファ♯ - ソ……」と、半音階はおろか、普通の音階も難しい。だからC-dur(ハ長調)の曲ではC管を使い、Es-dur(変ホ長調)の曲ではEs管を使い、自然倍音を中心に楽譜が書かれていた。どの音を基音にするかで管の長さが変わってくる。管の長さが変わると、同じ奏者が同じように吹いても音色が変わってくるのは当然である。
C-Basso管 渋く重厚で、強奏では野獣の咆吼のような響き。 ― 第5番の第4楽章。C-dur。
A管 甲高く、深みはないが、華やかな音色。 ― 第7番の第1、4楽章。A-dur。
Es管 森のホルンのような深みのある響き。 ― 第3番の第1、3、4楽章。Es-dur。
F管 Es管よりも開放的で、平和で牧歌的な音色。 ― 第6番の第1、3、4、5楽章。F-dur。
 いくつか例を挙げてみても、ベートーヴェンがホルンのそれぞれの管が持つ特有の響きを意識していたことは、疑う余地がない。本日は現代のバルブホルンを使うが、ベートーヴェンが思い描いた牧歌的なF管の響きを大事に演奏したい。

 ところで、1824年に作曲された交響曲第9番の第3楽章にホルンが音階を奏でるソロがある。なぜか1番奏者ではなく、4番奏者の担当になっているが、これはそのときの4番奏者が新しく開発された音階が吹けるバルブホルンを持っていたからだという説がある。バルブホルンの考案実用化は1820年頃。さっそく使ってみたというわけである。また、1816年に機械技師メルツェルが実用的なメトロノーム(曲の速度をはかる器械)を発表すると、翌年にはメトロノームの速度表示を自身の作品に導入している。もしもベートーヴェンが現代を生きていたら、最新のスマートフォンや電子機器に興味津々だったかもしれない。
 ベートーヴェンの音楽を聴いていると、ひとつも古めかしくない、最先端の芸術に触れているような気分になることがあって不思議な気持ちになる。「音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高度な啓示である」と自身が語るとおり、ベートーヴェンは真髄を求めてやまなかった。同時に、常に新しいものに目を輝かせ、実験をし、変革を試み続けた。その精神こそが、200年経った今も新しさを感じさせるのかもしれない。

(ホルン 吉川 深雪)

編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペット 2、トロンボーン 2、ティンパニ、弦楽5部。

 

ベートーヴェンの時代のホルン

現代のバルブホルン

それぞれの調の管の長さ

 


 

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