深遠な論理を求めて ―― シベリウスの三つの作品をめぐる

*シベリウス 「カレリア」組曲から「行進曲風に」 交響曲第1番 交響曲第6番 (2023年2月19日 第46回定期演奏会 プログラムより)

 優れた創造者は誰しも、自分らしさを追い求める。見聞を広め、基礎を学習し、技術を高め、これまでに作られた偉作を分析して、ときにはそっくり真似をしてみる。けれど、それらはすべて、自分にしか作り得ない作品を生み出すためであろう。自他共に認める傑作を創出したとしても、試練は終わらない。次に作るものは、自分らしさを持ちながら、しかし、自作の模倣であってはならないのだ。偉大な作曲家たちは、自分を越え続けることによって多くの名曲を創造してきた。それにくわえてジャン・シベリウス(1865−1957)には、特別な期待がフィンランド国民から寄せられていたように思う。
 スウェーデンによるフィンランド侵略が始まったのは12世紀。19世紀初めに支配者がロシアに代わると、フィンランドへの抑圧は増大していく。長い支配の中で、フィンランドの人々は「純粋なフィンランドの文化」を心から求めていた。1892年4月、まだ駆け出しの作曲家だったシベリウスが発表した交響曲「クレルヴォ」は圧倒的な成功を収めた。フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」を題材にしていたうえに、シベリウスが作る音楽が「我々が古くから知っている、まぎれもないフィンランドの音楽だ!」と感じられたからである。伝統的素材を元に作られた曲たちは、国内でもヨーロッパの国々でも評価され、1897年にはフィンランド国家から終身年金を受ける「国民的作曲家」となった。

「カレリア」組曲から「行進曲風に」
 本日の演奏曲を作曲年代順に見てみよう。演奏会の最初に演奏されるのは、「カレリア」組曲から「行進曲風に」(1893)。もとはカレリア地方の13世紀から19世紀までを描く野外歴史劇のために作られた劇音楽で、序曲および全8幕10曲で構成されていたという。カレリア地方ヴィープリの学生団体から作曲を依頼され、1893年の上演では、音楽の指揮をシベリウスがとった。初演後まもなく、作曲家自身の手によってほとんどの譜面が捨てられてしまったが、序曲と、3曲からなる組曲は残され、組曲は今でも演奏機会が多い。第1曲「間奏曲」、第2曲「バラード」、そして本日演奏するのが第3曲「行進曲風に」である。いわゆる行進曲とは違う、軽やかで優雅で華やかな魅力溢れる作品である。

楽器編成
フルート 2、ピッコロ、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、弦楽5部。

交響曲第1番 ホ短調 作品39
 演奏会の後半では交響曲第1番(1899)を演奏する。ベルリンでベルリオーズの幻想交響曲を聴いて大きな感銘を受け、そのままベルリン滞在中に着手したと伝えられている。また夭折したフィンランドの天才作曲家ミエルクの「フィンランド風交響曲」に影響を受けたとも言われている。標題交響曲を想定して書き始めたが、次第に標題的な要素はなりを潜め、交響曲の本来の姿である絶対音楽の作品となった。そのころすでに、ブラームス、ブルックナー、チャイコフスキーといった19世紀の偉大な交響曲作曲家はこの世を去っていた。伝統的な交響曲を書く作曲家が誰もいなくなった時代に、この交響曲第1番は誕生したのである。あでやかな色彩、煽情的な旋律、激しいクライマックスといった後期ロマン派音楽の影を色濃く残してはいるものの、まさにシベリウスにしか作ることのできない作品であろう。

楽器編成
フルート 2(ピッコロ持ち替え)、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、シンバル、トライアングル、ハープ、弦楽5部。

 ストラヴィンスキーが伝統的なリズム様式を打ち破り、マーラーが楽器編成や演奏時間を拡大しながら世界そのものを表そうとし、リヒャルト・シュトラウスが多調、不協和音を用いて調性音楽の限界を超えながら前衛的手法を推し進め、シェーンベルクが無調性、12音音楽を打ち出した時代に、シベリウスは調性にこだわった。一見保守的に見えるその中で、けれども独創的に革新していく。シベリウスの音楽は有機的であるとよく言われる。多くの要素から成り立ちながらも、それぞれが密接に繋がり合い、統一され、大きなひとつの全体として存在するもの。シベリウスはその深遠な論理を追求し続けた。

交響曲第6番 ニ短調 作品104
 演奏会の2曲目にお届けする交響曲第6番の初演は1923年2月19日、ヘルシンキ。まさに100年前の今日、シベリウスの指揮によってお披露目されたのである! 第6番のスケッチが始まったのは1914年、まだ交響曲第5番が完成されていないころだったが、書き上がったのは1923年初めと長い歳月を要した。第1次世界大戦(1914−1918)、ロシアからの独立(1917)、内戦(1918)、経済的かつ精神的支援者だったカルペラン男爵の死(1919)、愛する弟の死(1922)とかつてない動乱の時期だったことは確かだが、それだけでなく、数々のモチーフを納得できる形で昇華させるのに苦心したからではないかと思う。また、「私は教会旋法を学ぶのにかなり時間を要し、実践にいたるまでにはさらに勇気を必要とした」と語っている。この曲は便宜上、ニ短調と表記されて出版されたが、実際にはニ音から始まるドリア旋法で書かれている。無垢で、このうえなく澄み切った第6番は、まるで時間を超越したかのような作品である。

楽器編成
フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、バスクラリネット、ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 3、トロンボーン 3、ティンパニ、ハープ、弦楽5部。

 シベリウスの自己批判精神は後年はさらに深刻となった。この曲は本当に自分が追い求める真理にかなっているのか? 1926年の交響詩「タピオラ」以降、シベリウスはおもだった作品を発表しなくなった。人々は、彼の住んでいた土地の名にちなんで「ヤルヴェンパーの沈黙」と呼ぶ。けれど、苦しい時代を音楽によって鼓舞し続けてくれた作曲家を、国民も愛し続けた。1957年9月20日の夜、シベリウスは永遠の眠りにつく。彼が新作を発表しなくなってから30年以上経っていたにもかかわらず、葬儀は国葬として執り行われ、数万におよぶ人々が葬列に参加した。

(ホルン 吉川 深雪)

 

 


 

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