*チャイコフスキー バレエ音楽「白鳥の湖」から (2019年10月14日 第43回定期演奏会 創立30周年記念演奏会その2 プログラムより)

 私が小学校に入ったころ、引っ越しを機に父は最新のオーディオ機器を揃えた。最新のといっても40年以上も前の話だが、レコードプレーヤーやオープンリールデッキなど、私も母も決して触ってはいけない父だけの宝物だった。休日の午後、機嫌の良いときなどにときどき、私の好きなレコードをかけてくれることもあり、いつもリクエストしたのがまさしく「白鳥の湖」。物語のあらすじを追い、場面を想像しながら曲を聴くのは大きな楽しみだった。オーケストラの演奏会に頻繁に出向くようになったのは大学生になってからだが、プログラムの「白鳥の湖」を目当てに出かけたのに、聴き終わってたいそう落胆した。「私の好きだった曲がちっとも入っていない!」。その日の演目は演奏会で取りあげやすいように編纂された組曲版だったのだ。もちろん組曲版も名曲揃いではあるが、全曲版にはさらに素敵な曲がちりばめられている。全曲の演奏には2時間半ほどかかるため、今日の演奏会は、ストーリーに沿って厳選した曲を楽しんでいただく趣向である。

 13世紀以降、長きにわたるモンゴルの支配によって混乱の続いたロシアは、西欧から隔絶された存在であった。しかし、ロマノフ朝が成立し、1682年に即位したピョートル大帝の時代になると、西欧の技術や文化を取り入れ、大規模な西欧化が進められていく(ピョートルが偽名で使節団に紛れ、自ら西欧に赴いた話は有名である)。舞踊もそのひとつで、イタリア、フランス、オーストリアから最先端のバレエが持ち込まれ、宮廷、貴族社会に浸透していった。ロシア初の音楽教育機関、ペテルブルグ音楽院の設立は1862年だが(チャイコフスキーはその1期生)、レニングラード・バレエ学校の創立は1738年と120年以上遡ることを考えると、いかにバレエが受け入れられていたかがわかる。裕福な貴族は自分の農奴たちでバレエ団を結成し、有能な踊り手を宮廷に献呈したりもした。19世紀半ばには、そうした私設バレエ団が数千を超えていたといわれている。チャイコフスキーが誕生したのは、ちょうどそのころ、1840年のことである。
 チャイコフスキー(1840−1893)は、純音楽だけでなく、オペラや演劇やバレエも好み、劇場にもよく通っていた。「白鳥の湖」を作曲したのは交響曲第3番を発表したあとで、ボリショイ劇場からの作曲依頼を引き受けた理由は「半分は作曲報酬のためで、半分はバレエ音楽を作ってみたかったからだ」と語っている。初演は失敗に終わったという説もあれば、その後の上演回数を考えれば成功の部類だという説もある。初演から6年後には上演されなくなったのも、人気がなかったからだという説もあれば、新任の劇場管理委員長が経費削減のために打ち切ったためだという説もある。しかし、「白鳥の湖」がバレエ音楽に革新をもたらしたことは紛れもない事実だろう。それまでのバレエ音楽といえば単なる伴奏であった。踊り手のポーズやステップをいかすことのみが優先された、その場限りのリズムやフレーズを羅列したものであり、当然、音楽としての評価も低かった。しかしチャイコフスキーは、振り付けによる制限を受けながらも、優美な旋律と登場人物にぴったりのモチーフを台本に沿って展開させた。オーケストレーションの上でも、リズムの上でも、調性の上でも工夫と技巧を凝らし、バレエと音楽を、分かちがたいひとつの総合芸術として作り上げたのである。「バレエ音楽は交響曲と同じである」。チャイコフスキーの死の2年後に、振り付け師プティパの尽力で復活上演された「白鳥の湖」は大成功をおさめ、今でもクラシックバレエの金字塔となっている。

 もの悲しいオーボエの旋律、待ち受ける過酷な運命を予感させるようなドラマチックな導入曲が終わると幕が上がる。舞台はドイツ。城のそばの豪華な庭園で、世継ぎジークフリート王子の成人を賑やかに祝っている(No.1 情景)。そこに王子の母である王妃が登場し、「私たちが安心できるように早く結婚してほしい。明日、お城の舞踏会に貴族の娘たちを呼んでいるから、その中から妻となるものを選ぶように」と告げる。王子はまだ結婚したくはないものの、言いつけを受け入れる。ほっとした王妃が退場すると再び祝宴が始まるが、恋愛をしたことすらないジークフリートは明日の舞踏会に不安を感じてしまう。王子の親友ベンノは彼に酒を勧め、集まった一同も杯を酌み交わす(No.8 乾杯の踊り)。
 白鳥の群れが夕空を飛んでいくのを見た王子は、友人や従者とともに湖畔へ狩りに出かける。湖面の白鳥に狙いを定めて弓を引こうとした王子は、白鳥が王冠を付けた娘の姿に変わるのを見て驚く。娘の清らかな美しさにすっかり心を奪われる王子。娘は王女オデットで、悪魔ロットバルトに魔法をかけられて白鳥の姿に変えられてしまったが、夜のあいだは、この湖畔でのみ人間の姿に戻ることができる。悪魔はフクロウの姿でいつも王女を監視していること、この呪いは、まだ誰も愛したことのない若者の「永遠の愛の力」でしか解くことができないことを聞いた王子は、自分の愛でオデットを救おうと心に決める(No.11 情景)。ほかの白鳥たちも次々と娘の姿に変わって現れ、オデットはこの娘たちも本来は人間であったことを伝えた。従者たちに「白鳥を射てはならない」と命令する王子にオデットは深く感謝する(No.12 情景)。夜が明け始め、娘たちは白鳥の姿に戻り始める。夜の舞踏会でオデットを選ぶと宣言する王子だが、オデットは悪魔の邪魔を心配している。「私の騎士としての名誉にかけて誓います! 全生涯をかけてあなた一人を愛し抜くことを誓います! どんな悪魔の魔法も私の幸せを破ることはありません!」。朝焼けの空には大きなフクロウが羽ばたいている(No.10 情景)。
 城の大広間、王子の花嫁を選ぶための舞踏会に賓客が次々と登場する。各国の王女たちが華麗な踊りを見せるが、王子は誰の手も取ろうとしない。そこにファンファーレが鳴り響き、新しい客の登場を知らせる。騎士に扮したロットバルトと黒い衣装に身を包んだオデットそっくりの娘、オディールが姿を現す。バレエでは、プリマドンナがオデットとオディールの両方とも演じることが慣習となっている(No.18 情景)。広間では民族色豊かな舞踊が繰り広げられている(No.21 スペイン、No.22 ナポリ)。オディールをオデットだと思い込んだ王子は、オディールの手を取って踊り始める(No.5 パ・ド・ドゥ 黒鳥の踊り。I.導入)。オディールの美しさに魅せられる王子。窓の外にはオデットの姿が現れるが、オディールに夢中の王子は気がつかない(II.ヴァリアシオン)。オデットの仕草を取り入れながらも、妖しい魅力で王子を魅了するオディール。勝利を確信したオディールが見せる32回のグラン・フェッテ・アン・トゥールナン(*)はプリマドンナ最大の見せ場で、バレエ観劇ではオーケストラをかき消すような盛大な拍手が起こる(IV.コーダ)。王子はオディールを結婚相手として選ぶが、その直後に正体を現したロットバルトを見て、だまされていたことに気づく(No.24 情景)。
 絶望したオデットが湖に戻ってくる。愛の裏切りに傷ついたオデットを白鳥たちが慰める。そこに王子がやってきて、悪魔に欺かれたとはいえ、試練を乗り越えることができなかった自分の弱さを恥じ、許しを乞う。王子の切なる訴えに心動かされるオデット(No.28 情景)。死を決意した二人は、ロットバルトの制止を振り切って湖に身を投げる。呪いを破られたロットバルトは破滅し、オデットと王子は小舟に乗って永遠の世界へと旅立つ(No.29 終曲の情景)。

*グラン・フェッテ・アン・トゥールナン:フェッテは鞭で打つという意味を持つ動作。片足はつま先で立ち、もう一方の足をむちのように蹴り出して旋回する技法で、32回のグランフェッテは、最も有名で最も難易度の高いと言われる女性ダンサーの回転技。

(ホルン 吉川 深雪)

編成:ピッコロ 1、フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 4、コルネット 2、トランペット 2、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、バスドラム 1、シンバル 1、スネアドラム 1、タンバリン 1、カスタネット 1、トライアングル 1、タムタム 1、グロッケンシュピール 1、ハープ 1、弦楽5部。

 

 


 

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ブロカートフィルハーモニー管弦楽団 http://www.brokat.jp/