*モーツァルト 交響曲第31番 ニ長調 K.297「パリ」 (2019年4月14日 第42回定期演奏会 創立30周年記念演奏会その1 プログラムより)

 1777年の9月、21歳のウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は、母親とともにザルツブルクを出発します。自分の才能を不当に低く評価している雇い主の大司教に辞職願を突きつけ、自由の身となって、新しい就職先を探すための旅に出たのです。父親のレオポルトは、休暇が認められなかったため、今回は故郷に留まりました。その父に宛ててモーツァルトは書いています。「ぼくは父さんに代わって、すべてのことに気を配り、なんでもうまくこなしています。……あのいやらしい大司教の坊主のことは忘れられません。でも神様は慈悲深く見守ってくださるでしょう」。ところが、求職活動は、なかなかうまく進みません。まずミュンヘンで、宮廷楽団への就職を願い出たものの、「空席がない」という理由で断られます。次のアウグスブルクでは、従妹にあたる二つ年下の娘ベースレと意気投合し、新型の素晴らしいピアノに出会って、自らを売り込むための演奏会を開きます。
 10月に訪れたマンハイムの宮廷でも、就職の希望はかないません。けれども、この街では、当時、世界最高水準といわれたオーケストラに接することができました。モーツァルトは、クラリネットの使われている交響曲を初めて聴いて、木管楽器のハーモニーに大いに感動します。そして明くる年の1月、のちに結婚するコンスタンツェの姉のソプラノ歌手、アロイジア・ウェーバーと知り合い、すっかり彼女に夢中になってしまいます。「彼女は素晴らしく歌がうまくて、きれいな澄んだ声の持ち主です。彼女が成功するように、ぼくは一生をかけて助けてあげたいと思っています」。そんな手紙を受け取って息子の恋の行方を憂慮した父親の厳しい叱責を受け、3月、モーツァルトと母親はパリへ向かいます。
 パリには、マンハイムにも劣らない技術水準をもつオーケストラがありました。そのオーケストラ、コンセール・スピリチュエルの主宰者であるル・グロからの依頼で書かれたのが、きょうお聴きいただく交響曲第31番「パリ」です。注文を受けてから10日ほどで完成されたこの交響曲は、モーツァルトにとって満足のいく出来映えでした。「第1楽章の中ほどでは、ぼくが予想していたとおり、熱狂的な拍手が起こりました。そしてこの楽章は初めからもう一度アンコールされたのです」。演奏会は大成功を収めました。けれども就職活動は、パリでも成果を得ることができませんでした。しかもこの交響曲が初演されてから2週間後には、最愛の母を病気で亡くしてしまうことになるのです。

第1楽章 すべての楽器がレの音を輝かしく響かせたあと、弦楽器とフルート、ファゴットがユニゾンで1オクターヴ上まで駆け上がる晴れやかな出だしは、当時のパリの聴衆をさぞ興奮させたことでしょう。
第2楽章 この楽章について、曲の依頼主ル・グロから、「転調が多くて長すぎる」と文句をつけられたため、初演の際には、急遽、別の曲と差し替えたと言われています。
第3楽章 第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが密やかにしばらく奏でていたかと思うと、いきなり全楽器がそろって力強く叫び声を上げます。初演の時には、ここでも拍手が巻き起こったそうです。

(ヴィオラ 鈴木 克巳)

編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペット 2、ティンパニ 1、弦楽5部。

 

 


 

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