*ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 作品70(2012年3月18日 第29回定期演奏会プログラムより)

 アントニン・ドヴォルザーク(1841−1904)の交響曲というと、まずは第9番「新世界」、次にボヘミア民族色の強い第8番を思い浮かべると思います。でも、今回演奏する第7番も凄い曲なのです。この曲はドヴォルザークが43歳のころに書かれました。彼は30代の後半にブラームスに見出され、スラヴ舞曲第1集や交響曲第6番を作曲して、国内外の評価が急速に上がっていました。ロンドンのフィルハーモニー協会から新たな交響曲の作曲を依頼されたこともそれを物語っています。けれども同時に、今まで民族色の強さで人気を博していたドヴォルザークにとって、国外からのラヴコールは非常に悩ましいものだったのではないでしょうか?
 当時プラハで人気を得ていた自作のオペラは国外で上演されることはなく、それはドヴォルザークにとって不満だったようです。逆に、ブラームス派の批評家として知られるハンスリックからウィーンに出てオペラを作曲するよう勧められていたのですが、ドイツ語の台本を書かねばならないことに悩み、プラハに留まることを選択しています。今までのスタイルを貫いて田舎作曲家の烙印を背負い続けるか、普遍的な交響曲を書いて特徴の乏しい作曲家に留まるか……。そこでドヴォルザークは民族色と楽曲構成を両立させた交響曲を作り上げました。それが第7番なのです。
 民族色としてのキーは、同時期に書かれた劇的序曲「フス教徒(フス派)」。15世紀、プラハ大学の神学者ヤン・フスを祖とするフス派は、ローマ・カトリックから異端扱いを受け、征伐のための十字軍を差し向けられます。しかしフス派は戦いに勝ち続け、10年以上も宗教的な自治を守り続けたのです。ドヴォルザークは、チェコ国民劇場の劇音楽として作ったこの曲のモチーフを、第7番に転用しています。
 楽曲構成としてのキーは、ブラームスの交響曲第3番。第7番を作曲する前年にブラームスが交響曲第3番を書き上げ、それを聴いたドヴォルザークはたいへんな感銘を受けています。その影響か、第7番の中にはブラームスの第3番を思わせる響きを多く見出すことができます。ドヴォルザークは第7番の作曲中に、出版社ジムロックに次のような手紙を送ったそうです。「ぜひともブラームスに『この交響曲は君の前作(第6番)とはまったく違っている』と言わしめたいと念じています」
 完成した第7番はロンドンで作曲家本人の指揮で初演され、大成功を収めました。

第1楽章 暗い聖歌のような第一主題、春の風を思わせる牧歌的な第二主題からなるソナタ形式の曲です。最後は渇望感に急き立てられて怒涛の渦が湧き起こりますが、成就出来ぬまま消えていきます。
第2楽章 五音音階(ファとシのない音階)が印象的な三部構成の緩除楽章です。故郷の香り、夕暮れ、鳥の鳴き声……。交響曲第9番の緩除楽章「遠き山に日は落ちて」と同じ空につながる気がします。
第3楽章 フリアントというチェコの民族舞曲を用いたスケルツォです。変則的なリズムによる力強い主部と、牧歌的だが不可思議な音形も見え隠れするトリオからできています。最後はヴィオラとオーボエが奏でる悲しげな旋律を主部の旋律が腕力で巻き込み、曲を終結させます。
第4楽章 第1楽章と同様、暗い冒頭ですが、決意に満ちた勇ましい足取りを思わせます。十字軍を迎え撃つフス派でしょうか。複数の荒々しい旋律が主張しあいますが、途中には故郷を顧みるような温かい旋律も流れます。最後は短調の旋律が長調に転じ、アーメン終止で結します。
 フス派の結末はどうなったのでしょう? 皆さまそれぞれの想像を巡らせていただけるとうれしいです。そしてこの演奏会をきっかけとして第7番を愛聴曲にしていただけることを切に願っております。

(ヴィオラ 村井 良行)

編成:Fl.2(Picc.1), Ob.2, Cl.2, Fg.2, Hr.4, Tp.2, Tb.3, Timp.1, Strings

 

 


 

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ブロカートフィルハーモニー管弦楽団 http://www.brokat.jp/