*ヴァーグナー 序曲「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」(2006年9月24日 第19回定期演奏会プログラムより)

 1813年、バイロイト在住の作家ジャン・パウルは、ホフマン短編集に添えてこう書き残している。「これまで太陽神は、つねに詩の才能は右手で、音楽の才能は左手で、それぞれ別々の人間に投げ与えてきたので、今なお、我々は真のオペラを作詞し作曲もする人間を待望している」。オペラにおいて成功することは、作曲家にとって大きな意味を持っていたので、多くの作曲家がオペラを手掛けていた。しかし、その台本は作家に委ねたり、既製の戯曲を使用したりしていた。台本から音楽、演出まで全てを自らの手で制作したのはヴァーグナーが初めてといってよいだろう。この言葉が書かれたまさしくその年に、ヴァーグナーがこの世に生を受けたのは興味深い偶然である。
 アマチュア俳優であった実父(ヴァーグナー生後半年で死去)、プロの俳優である養父、オペラ歌手の兄と姉、舞台女優の二人の姉がいる家庭に育ち、少年時代から劇場に出入りし、子役として舞台にも立っている。一家は、ドイツ国民歌劇「魔弾の射手」の作曲家として人気を博していたウェーバーとも交流があり、幼いヴァーグナーはウェーバーに憧れを抱いていたようだ。また、文学にも大いなる興味を示し、数多くの小説や戯曲を読み耽るほか、執筆活動も盛んに行い、いくつもの詩や小説、論文を残している。その論文は、かのゲーテにも認められるほどであった。
 オペラ作曲家としての素養十分だったヴァーグナーだが、一方でベートーヴェンの影響を強く受け、交響曲作曲家としての成功を目指したこともある。彼が19歳の時に作曲した交響曲ハ長調は、現在も楽譜が残っている。しかし、続く二番目の交響曲は、第二楽章に入ったところで放棄。以降、ヴァーグナーは交響曲の作曲を一切していない。当時の作曲家の間では、交響曲というジャンルは、ベートーヴェンが究極の形で完成させたという考えが色濃かった。ブラームスがそうした呪縛に苦しみ、19年もかけて最初の交響曲を完成させたことは、あまりに有名である。ヴァーグナーもベートーヴェンの偉大すぎる存在に苦しんだ一人だったのかもしれない。

 ヴァーグナーのオペラ作曲家としての最初の成功は、大悲歌劇「最後の護民官リエンツィ」のドレスデン初演である(1840年1月総譜完成、1842年10月初演)。
 「十四世紀、貴族の横行がまかり通り、治安乱れるローマ。民衆に支持された平民出身のリエンツィは護民官となり、町の秩序と平和、民衆の自由を取り戻すために身を粉にして活動している。リエンツィの妹で、貴族出身のアドリアーノを恋人に持つイレーネは、板挟みに苦悩する。一時は貴族を屈服させるが、恨みをかって戦いとなり、大きな犠牲を払った上での勝利を得た。しかし、勝利によってリエンツィの権力がますます大きくなることに警戒心を抱いた腹心たちは、リエンツィ失脚を企む。陰謀に扇動された民衆は暴動を起こし、自らが選んだはずのリエンツィの館に火を放った。リエンツィ、アドリアーノ、イレーネは崩れ落ちる建物の下敷きとなり、非業の死を遂げる」。
 登場人物が多く、オーケストラと合唱も大編成、バレエの見せ場があり、最後には館が炎上して崩れ落ちるという大がかりな仕掛け。実力派の歌手達の力も手伝って、空前の大成功を収めた。人々は熱狂し、その評判はドレスデン中に伝わる。ヴァーグナーは一躍時の人となった。しかし、その成功のわずか2年後に、作曲家自らがこの作品の不出来を指摘している。「リエンツィ」はバイロイト祝祭劇場で上演することも認められていない。現在はわずかこの序曲のみが、演奏会や管弦楽集のアルバムに取り上げられている。

 「さまよえるオランダ人」の完成初演を経て、やはりドレスデンにて、ロマン的歌劇「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」が初演される(1845年4月総譜完成、1845年10月初演)。
 「仲間との諍いから宮廷を去った恋愛歌人の騎士タンホイザーは、愛欲の女神ヴェーヌスの誘惑に乗り、ヴェーヌスベルクで快楽の日々を送っていた。しかし、そこでの不死の状態に耐えられなくなった彼は、死を求めて人間世界に、ヴァルトブルクの宮廷へと戻る。タンホイザーを愛する領主の娘エリーザベトはその帰館を喜ぶ。しかし、“愛の本質”を課題とした宮廷の歌合戦で、精神的な愛を賛美する人たちに反発して、ヴェーヌスベルクでの愛欲を讃えたため、人々の激昂をかう。エリーザベトの取りなしによってその場を逃れたタンホイザーは、恥じ入り、法王の赦しを請うためにローマに赴くが、必死の懺悔は受け入れられない。タンホイザーの救済のために世を捨ててまで祈りつづけたエリーザベトだが、その願いが聞き届けられないと知り、絶命した。タンホイザーもまた、エリーザベトの自己犠牲を知り、その棺の上で息絶える。その時、奇跡の救済を伝える一行が到着する。法王の決定にもかかわらず、神はタンホイザーをお許しになったのだった」。
 第二の「リエンツィ」を期待した人々にとって、「タンホイザー」は理解しがたく、初演は不評に終わったが、次第に人気を集め、ドレスデン以外でも上演されるようになった。間をおかず、白鳥の騎士伝説に基づく「ローエングリン」の台本に着筆、総譜を完成させるが、パリの2月革命に影響を受けた不穏な情勢の中で政治的発言をし、ついには民衆の蜂起に参加してしまう。ヴァーグナーにとっての革命は、あくまで芸術の救済を目指したものであったが、警察当局にとって理由の如何は関係ない。“お尋ね者”となったヴァーグナーは、13年間に及ぶ亡命生活に入った。

 ロマン的歌劇「ローエングリン」の初演はヴァイマルの宮廷歌劇場にて、ヴァーグナーのドイツ不在のまま、リストの指揮によって行われた(1848年4月総譜完成、1850年8月初演)。上演を重ねるに連れ人気を増すオペラの評判を聞いたヴァーグナーは、「ドイツ人でローエングリンを聴いたことがないのは自分だけだ」と嘆いたという。
 「ブラバント公女エルザは、公国の領主の座を狙うテルムラント伯に濡れ衣を着せられている。エルザの行方不明中の弟であり、公国の跡継ぎであるゴットフリートを殺したというのだ。そこへ光り輝く騎士=ローエングリンが白鳥の引く船に乗って現れる。決して自分の身元を訊ねないと約束するのなら、公女と公国の庇護者になるという。ローエングリンはテルムラントを打ち負かしてエルザの身の潔白を表明。二人は結婚するが、結婚式の夜、エルザは堪えきれずに禁じられた問いを発してしまう。翌日、人々の前で聖杯騎士という身分を明かすローエングリン。聖杯城の掟により、身分を知られた者はその場から立ち去らなければならない。ローエングリンは、テルムラントの妻の魔法によって白鳥に姿を変えられていたゴットフリート公子を元の姿に戻し、去っていった。残されたエルザは嘆きながら倒れ、弟公子の腕の中で息絶える」。
 定収入がないにもかかわらず、贅沢な暮らしを好んだヴァーグナーは、常に借金に追われていた。そのヴァーグナーの救世主となったのが、18歳の若さでバイエルン国王に即位したばかりのルートヴィヒ2世だった。彼は16歳の時に「ローエングリン」を観てヴァーグナーに心酔、ヴァーグナーの芸術の手助けをするのは、自分の使命だと決意する。周囲の不満を無視して多額の金銭的援助をし、バイロイト祝祭劇場建設にかかる費用の大部分を提供した。また、夢見がちだったルートヴィヒは、白鳥の騎士の姿に自分を投影させ、作品世界そのままの中世風な城(ノイシュヴァンシュタイン城)の築城に没入する。他にも二つの豪華な城を建設し、そのための膨大な費用はバイエルン王国を恐慌に陥れる一因ともなった。次第に国政から遠ざけられ、さらに精神病のため統治不能と判断され、ベルク城に軟禁。その翌日、付き添いの精神科医と共に水死体で発見される。現在、ノイシュヴァンシュタイン城を初めとする観光収入が、バイエルン州の財政を大きく支えているというのは、何とも皮肉な話である。

 1851年に執筆された論文「オペラとドラマ」の理論を反映して、ヴァーグナーの作品は歌劇=Operではなく、楽劇=Musikdramaと呼ばれるようになっていった。日本でもこの論文以降(「トリスタンとイゾルテ」以降)の作品には、楽劇というジャンル名を付けることが多い。ヴァーグナー自身はこの楽劇という呼び方を好まなかったそうだが、呼び方はともかく、ヴァーグナーがそれまでの歌劇の概念を大きく覆したことは事実である。
 劇作、歌詞、衣装、大道具、演出に至るまで全てに携わったこと。それまでの常識であった、アリアや合唱などそれぞれが独立した断片として演奏されていたオペラ形式を廃止し、無限旋律を組み入れることによって、途切れのない一つの音楽作品を完成させたこと。オーケストラの大規模化。音色効果を狙っての新しい楽器の考案(ヴァーグナーテューバ)。上演に15時間かかる超大作、序夜と三日間のための舞台祝典劇「ニーベルングの指環」の完成など、枚挙にいとまがない。しかし、なんと言っても特筆すべきはバイロイト祝祭劇場の存在だろう。自分が創造した作品のみを上演するための専用劇場を所有した作曲家は、歴史上、ヴァーグナーただ一人である。

 ヴァーグナーの死後は、愛妻コジマ、そして子供たちによってバイロイト祝祭は執り行われた。大戦時には、作品の国民主義的な要素とヴァーグナーの個人的ユダヤ人嫌いが利用され、ナチスの格好のプロパガンダの道具となった。ヴァーグナー作品がナチ政権樹立、ホロコーストを招いたという誤解も生まれ、現在でもイスラエルではその音楽に根強い抵抗がある。しかし、言うまでもないが、ヴァーグナー自信もその作品も、ナチズムとは全く関係がない。戦後1951年にバイロイト祝祭はヴァーグナー家に返還、以後一年も休むことなく続けられている。特に近年は、申し込みをして10年目でもチケットが入手出来ないくらい人気が高まっている。
 ヴァーグナーほど好き嫌いが分かれる作曲家はいないという。しかし、生前も、そして死んでからもなお、多くの影響を人々に与え続けている“希有な作曲家”だということは確かだ。本日演奏するのは、前期の作品、しかもその序曲のみである。けれど、その短い中にもヴァーグナー独自の世界観を垣間見ることが出来る。

(ホルン 吉川深雪)

リエンツィ編成:Fl.2, Picc.1, Ob.2, Cl.2, Fg.2, CFg.1, Hr.4, Tp.4, Trb.3, Tub.1, Timp.1, Cym.1, Trg.1, BD1, SD1, TD1, Strings

タンホイザー編成:Fl.2, Picc.1, Ob.2, Cl.2, Fg.2, Hr.4, Tp.3, Trb.3, Tub.1, Timp.1, Cym.1, Trg.1, Tamburine1, Strings

ローエングリン編成:Fl.3, Ob.2, EHr.1, Cl.2, BCl.1, Fg.2, Hr.4, Tp.3, Trb.3, Tub.1, Timp.1, Cym.1, Strings

 

 


 

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